廃材一つに歴史あり、思いあり

 龍神乃鹽を作るために焚く薪には、役目を終えたみかんの木や耕作放棄地などの木の他に解体された家屋の廃材があります。その中に写真のような廃材も有る。
 はっきりとはわからないが、これは家を建てる時の棟上げの際に天井に記される「棟木銘」のように思われます。(※確かではありません)
 読めるのは、宮株 清八・吉助?くらい。人の名前だろう。こういう廃材を見かけると「この人はどんな人だったんだろう」とか「どんな家だったんだろう」とか、その時の棟上の情景に思いを巡らせてしまう。
『廃材一つに歴史あり、思いあり』である。
 文久3年、西暦で言えば1863年。時代で言うと幕末尊王攘夷運動の頃。私の本業である実家の商売が始まったのが153年前、西暦で言うと1869年だということ。それよりも前の159年前。
 塩職人の松田君が言うには、家を解いた時の廃材が運び込まれた時などは、子供の成長を期した日付の書いた柱などもある。
こういう廃材に出会うと、自然と手を合わせてしまう。
 自然の恵を自然のままに、人々の歴史や想いとともに丁寧に塩の一粒一粒に変えさせていただく。
龍神乃鹽工房、今日も元気に稼働中です。

村上記

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